紆余曲折な親子関係について Part 7「無気力な母親」

毒親育ち

中学に入学して充実した学生生活を送りたいと思っていたのですが、母には何かと足を引っ張られていました。

まず、母は無職で普段からいつも家にいるものの、ほとんど家の掃除や整理整頓をしませんでした。台所は使った食器が溜まっていて、調理の際に出たゴミも放ったらかしでした。ご飯を食べる時はいつも、溜まっていた食器を洗って直ぐに使うという時がほとんどでした。そのため、食器棚は空っぽでした。

冷蔵庫の中は賞味期限を過ぎた食材や余ったおかずなどが沢山入っていて、腐っても放置していました。リビングのテーブルには食器や空の容器などで散らかっていて、とてもじゃないですが食事を出来る状況ではありませんでした。

一応、母はご飯は作っていましたが、散らかし放題の台所で料理をしにくい状況なので、作られたものは簡単で手を抜いたものばかりでした。
そして、食事をする時は、地べたに新聞やチラシを敷いて、そこに茶碗やお皿を置いて食べていました。
本当に、普通の生活が出来ない状態でした。

衣服は毎日洗濯をしていましたが、洗って干したものは畳んでタンスに入れることはなく、たたまずに椅子の上に置いたままで、服を着る時はそこから選んで着ていました。
こんな状態だったので、掃除はほぼしたことがなかったです。

このような状態になるまで散らかすようになったのは、母が離婚したことによって何もかもやる気がなくなって、家事を放棄するようになったのです。
いつも何か嘆いていたり泣いたりしていました。なぜ泣いていたのか、大人になってから聞いてみると、自分の先の人生の不安が積もって泣いていたそうです。私と弟のことはほとんど頭になかったそうです。

家が散らかっていたので様々な所に影響があり、母のせいで学校を遅刻することが何度かありました。中学校は給食ではなく、弁当でした。ほぼ毎日弁当を作ってもらっていたのですが、台所が散らかっていたので、弁当を作るのにも時間がかかって、弁当が出来上がるまで待たされ、遅刻することが何度もありました。

登校し、先生に遅刻の理由を聞かれて、正直に弁当が出来上がるまで待っていたことを言っても、いつも「お母さんのせいにするな」「嘘をつくな」などと言われ、信じてもらえませんでした。
昼休みになると学校にはパン屋さんが来ていたので、遅刻しそうな時はパンを買いたかったのですが、母に「お金が勿体ないから駄目」と言われ、あまり買うことはなかったです。

家を出る時間が遅くなったので、いつも友達と登校していたのですが、先に行ってもらうことになって、一人で投稿するようになりました。そのため、徐々に友達との距離が出始めました。

ここまでの文章を読んでみて、「なぜ家事や掃除を母に任せきりで、あなたは手伝わなかったのか?」とお思いになる方もいらっしゃると思いますが、私も家事に協力したかったです。しかし、いざ何かしようとすると、母に止められていました。
「私がするから手をつけないで」「勝手なことをするな」などと言われ、手伝わせてもらえませんでした。私が家事をすることによって、母も動かないといけないので、何もして欲しくなかったようです。
母は私に促されて掃除を始めるものの、長く続かず、また元通りに散らかった状態になりました。

家の中は足の踏み場もない所でした。腐ったものが台所にあって、嫌な臭いもありました。
本当に凄まじい環境で生活していました。

家庭環境は更に酷くなり、悪化の一途を辿っていきました。

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