紆余曲折な親子関係について(毒親育ち) Part 5「母の無神経な言葉」

毒親育ち

ギリギリで切迫した生活をしていましたが、母はよくタバコを吸っていました。私と弟が「タバコを止めて」といっても、一向に聞き入れてもらえませんでした。いつも「ストレスが溜まるから、タバコが止められない」と言い返されます。

そして、家の中の雰囲気も徐々に変わっていきました。離婚して数ヶ月間、色んな人と長電話をしていました。家事は放ったらかしでした。
折角祖母が掃除してくれて綺麗になったのに、また散らかった部屋になっていきました。家の中は散らかるだけでなく、衛生的にも良くない環境になり、ゴキブリやハエなどの害虫がよく出てきました。

離婚してから今後の不安や今までの後悔が積もり、母はよく泣いていました。一日中泣いている時がありました。私はそんな母の姿を見て「本当に苦労しているんだな」と感じました。
大人になって、当時の母の年齢を超えてから感じたのは、この時の母は我が身の心配だけで息子二人の将来については何も考えず、保身ばかり気にしていたのではないかと感じるようになりました。離婚してから二十年以上経ってから当時のことを聞いてみると、「自分の事しか考えられず、子供の事は考えられなかった」と言っていました。
離婚する際、離婚してからの計画など何も考えず、ただ父親から離れたい一心で離婚したようです。

離婚してからは家は散らかり汚れてきて、母はタバコをよく買っていて更に毎日の長電話で何万円もの電話料金がかかって生活費が少なくなり、悪循環な日が続きました。

そんな母の姿を見ると不甲斐なく思い、母にちゃんとして欲しいという思いで厳しいことを言うと「親に歯向かうな!」と言われました。私は汚い言葉や逆らうような言葉使いはしていませんでした。

そして「あなたなんか引き取るんじゃなかった」と、かなりショックな言葉を言われました。当時、小学6年生だった私にとっては、かなりキツイ言葉でした。その後、3年間は何度も言われることがありました。母は口から出任せのつもりで言ったようですが、多感な思春期の頃に言われたので、ショックは大きなものでした。

そんな言葉を浴びせてから数日後に「本当に引き取りたくなかったの?」と聞いてみると「そんなの、嘘に決まってるじゃないの」といつも言っていました。しかし、また「引き取るんじゃなかった」と言われ、また否定してその繰り返しでした。

母は本心からの発言では無かったにしても、デリケートな年頃の息子にデリカシーのない言葉を平気で発せられる母の神経に不信感を覚えました。一呼吸置いて言葉を選ぶことが出来なかったのでしょうか。
その言葉は、今でも覚えています。

離婚して数ヶ月後、母の故郷へ引っ越すという話が出てきました。母の実家には祖母が一人暮らしをしていました。私は生まれも育ちも関西ですが、母は関西から遠く離れた地方の田舎でした。山と海に囲まれた所で、自然に満ち溢れた環境でしたが、近所には店が少なく病院も遠くて凄く不便な所でした。

小学校は歩いて15分くらいの所にありましたが、中学校は車で10分位の所にあり、通学に不便な所にありました。祖母に生徒達の通学方法について聞いてみますと、多くの生徒が自転車通学をしているとのことでした。母の実家からは自転車で30分かかるそうです。そして、道のりは山道で坂の多い所でした。そして、地元の生徒は雨の日は親御さんに車で送迎してもらっているようです。祖母と母は車の免許を持っていませんでしたので、もし引っ越ししたとすれば通学は非常に困難になると感じました。

高校も近くにはなく、近くの高校だとバスで一時間以上かかり、本数は2時間に1本くらいで非常に不便です。最終の便が18時位で、クラブ活動は難しくなります。

色々と家族で考えた結果、生活や通学に凄く不便になるので、母の故郷へは行かず関西に残る事になりました。
そして、居住地も変えずに住み続ける事になりました。

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