紆余曲折な親子関係について(毒親育ち) Part 2「家庭の雰囲気が一変」

毒親育ち

母はこそっとタバコを吸っていたつもりでしたが、私達子供からはバレバレでした。家事の合間に吸ったりしていました。スキだらけだったので、何度も目撃しました。そして、残り香もあったので、非常にわかりやすかったです。
母が喫煙していた時に「タバコ吸ってる!」となどというと「吸ってない!」と強い口調で言い返してきました。下手な嘘ばかりついていました。

両親の関係を見ていますと、「いつかは離婚するんじゃないか」と子供ながらに感じていました。いつも口喧嘩ばかりして、仲睦まじい所を見たことがありませんでしたしし、「何故結婚したのだろう?」と不思議で仕方なかったです。

そして、私が小学6年生の4月の終わり頃、母から「離婚する」と告げられました。その日は私が修学旅行から帰ってきた翌日でした。いつかは離婚すると覚悟はしていたものの、実際に告げられるとショックで、修学旅行の思い出が吹っ飛びました。
ショックではあったものの、「あの親父と離れられるかも!」という気持ちで、嬉しい気持ちのほうが大きかったと思います。
因みにその修学旅行では家族にお土産を買いましたが、母と弟には400円くらいの雑貨、父には100円くらいの箸を買いました。自然と父にお金を掛けたくないという気持ちがあったように思います。

それからは、しばらく家庭の雰囲気は気まずいものとなっていました。両親の喧嘩の回数は変わらなかったですが、内容が変わってきました。今までは父が攻撃していましたが、「離婚したい」と告げられてからは勢いが小さくなったような気がします。逆に母からの攻撃が増えたように思います。

父は「気持ちを改めるから考え直してくれ」などと訴える事もありましたが、母は「もう信用できない。あなたと居たら体を潰されてしまう」と、母の決心は固く、考えを改めるようすはありませんでした。

夕食を食べる時、母と弟と私はキッチンのテーブルで食べていましたが、父はリビングのソファーでテレビを見ながら食べていました。今まではリビングまで母がご飯を運んでいましたが、父の近くに行きたくないようで、私か弟が運ぶようになりました。

寝る時は家族で川の字になって寝ていました。私と弟が真ん中で両親は端っこで寝ていたので、位置は以前と変わりませんでした。

家の中は数年前から整理整頓が行き届いておらず、いつも散らかっていたと記憶しています。母は専業主婦でしたが、精神的に疲れ果ててしまい片付ける気力がなかったようです。なので、友達を呼べない状態でした。時々「家に遊びに行っていい?」と言われても、いつも断っていました。散らかりすぎていてとてもじゃありませんが、恥ずかしくて招くことが出来ませんでした。
私が「一緒に片付けよう」と言っても「今度しようね」といつも言われ、片付けさせてもらえませんでした。散らかっていても父は協力して片付ける事はなかったです。
「自分は外で働いているのだから、お前が片付けろ」という感じで、非協力でした。

離婚すると宣言してから、母は長電話をするようになりました。母の母つまり私の祖母、伯母、親しい友人などに電話して、父への不満を言っていました。それまで父の愚痴を誰にも言ってなかったようで、かなり溜まっていたようです。
学校から帰ってくると、いつも長電話をしていました。洗濯や炊事など家事をすっぽかして、朝から長電話をしていたようです。

家は更に散らり、気まずい雰囲気が漂っていて、居心地の悪い日々を過ごしていました。

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