紆余曲折な親子関係について(毒親育ち)Part 1「両親の離婚」

毒親育ち

私は3歳下の弟と共に、母子家庭で育ちました。両親は私が小学校6年生の頃に離婚しました。両親が離婚したことにより、私達の人生は大きく変わりました。

こちらのブログで、離婚に至った経緯と離婚後に起こった様々な出来事をお伝えしていこうと思います。

私の両親が離婚したのは、小学校6年生の頃でした。物心ついた頃より、両親の仲は良いとは思えませんでした。日々喧嘩が耐えず、家の中はいつもなんとなくどんよりとした雰囲気でした。

両親の仲が悪くなったのは、私が小学校1年生の頃だったようです。小1の時に母方の祖父が亡くなりました。それから、父から母に対する当たり方がキツくなってきたそうです。それまでは、そこそこ仲は良かったようです。
夫婦仲については、私はまだ6歳だったので、記憶はほとんど残っていません。

元々、父に対しての印象は、良いものではありませんでした。お酒をよく飲み、家にいる時はずっと座ったり横になったりして殆ど動かない、気に食わない事があれば直ぐに怒鳴るなど、悪い印象ばかりでした。

母と弟と3人で過ごしている時はほのぼのとした雰囲気でしたが、父が帰ってくるとどことなくピリピリした雰囲気に変わっていました。なので、帰宅が遅い時や出張でしばらく帰ってこない時があると嬉しかったです。

父の仕事は休日が平日になる事が多かったので、一緒に遊びに行ったことは少なかったと思います。友人が嬉しそうに「お父さんと遊んだ」「お父さんと出掛けた」などという話を聞くと、羨ましく思う事がありました。しかし実際に父と遊びたいという気持ちはありませんでした。

祖父が亡くなってから時間が経つにつれて、父の態度は変化していきました。最初は母にだけキツくあたっていましたが、そのうち私や弟にまでキツく当たるようになりました。些細な事で怒鳴り散らしたり、時には手を出す事もあったりして、とても子供に接する接し方は良いものだとは思えませんでした。

しつけではなく、八つ当たりだったように思います。怒られるような悪事を働いた事はありませんでした。理不尽な怒られ方でした。
35年くらい前のテレビは現在のものとは違って、リモコンのない物が多かったです。我が家のテレビもリモコンがありませんでした。父はリビングでテレビのそばに居たのに、廊下にいる私を呼んでチャンネルを変えさせたりしていました。ある時、「近くにいるから、自分で変えたら?」と反抗したら、「親の言うことに従え!歯向かうな!」と怒られた事があり、理不尽な怒られ方を何度もしました。

そして、家事をすることはほとんどありませんでした。「自分は外で仕事をしているから、家事をしなくてもよい」というスタンスで、家では酒を飲んで寝そべって、ほとんど何もしていませんでした。

父の仕事の職種は営業でした。直行直帰出来る環境だったようです。なので、営業にいっているフリをして、サボって家にいる日が年に何回もありました。時々会社から、父は居ないか電話がかかってきました。電話に出る自分に、出る直前に「居ないといってくれ」と言われ、そのまま会社の人に伝えました。

こんな家庭環境だったこともあり、母は精神的に疲れてしまったようです。家事をする気力が失せてしまい、家庭の雰囲気は徐々に暗くなっていきました。そして、母は気休めにタバコを吸うようになってしまいました。母が喫煙を始めた頃は、子供ながらにショックを受けました。

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